パリ・ノートルダム大聖堂と首里城
2019年の火災を超えて 復元と文化遺産の価値を考える
ジャン・フランソワ・ラニョ (訳:河野俊行)
4月15日深夜、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、首相(当時)エドゥアール・フィリップ氏、パリ市長アンヌ・イダルゴ氏とともに、火災現場を訪れた。大統領は短いスピーチの中で、フランスの歴史におけるノートルダム大聖堂の象徴的な重要性を想起した後、この建物を再建することを発表した。その際大統領は、国を挙げたプロジェクトになることを強調して、国内外の優秀な建築家を対象としたコンペを計画していた。
大統領は、翌日のスピーチでも、5年後に「これまでよりも美しく」再建すると明言し、このプロジェクトが統合的役割を果たすことを繰り返し強調した。
4月17日、フィリップ首相はフランス議会に提出予定の法案について詳しく説明した。それにより二つのことが明らかになった。その一つは、このプロジェクトを管理するための特定公施設法人を設立すること、もう一つは、尖塔復元のための国際建築コンペを開催することであった。
これに対しては、3つの問いが投げかけられた。
この要請に応えようと、何人かの建築家が戯画のような計画を公表した。しかしそれが実際に開始される前に、建築家と住民双方の間で一般的なコンセンサスが得られた。文化大臣ロスリーヌ・バクロが、歴史的記念物委員会との協議の後、ヴィオレ=ル=デュックが19世紀に建てた尖塔を復元すると、2020年7月に公式発表したのである。
ベンジャマン・ムートン、ジャン・フランソワ・ラニョ (訳:河野俊行)
火災の翌日、マクロン大統領は、大聖堂とその周辺を国際建築コンペの対象とすることを宣言した。
すぐさま、「現代」建築から「古い」建築に対して宣戦布告がなされた。建築家からは、数え切れないほどの計画が提案された。しかし、空想的で奇抜なそれらのプロジェクトの多くには、実現性がなかった。残念なことに、多くの提案が、大聖堂に背を向けていた。彼らはノートルダム大聖堂の建築と構造を理解していなかったのだ。