救出と奇跡の叙事詩

Chapter 1  雄鶏の聖遺物容器

パリ・ノートルダム大聖堂の歴史的記念物責任者であるフィリップ・ヴィルヌーヴが腕に抱いているのは、瓦礫の中から発見されたばかりの、ほぼ無傷の尖塔の雄鶏 © Didier Durand, 16 avril 2019.

ガスパール・サラトコ (訳:河野俊行)

パリ・ノートルダム大聖堂から救出された品々の中でも、尖塔の上に設置されていた、雄鶏の聖遺物容器は重要な位置を占める。19世紀に設置されたこの雄鶏には、「茨の冠の棘」「パリ市の守護神である聖ジュヌヴィエーヴの遺体の断片」「パリ教区の守護神である聖ドニの遺体の断片」という3つの聖遺物が収められており、これらの聖遺物には、その真正性を証明する公式文書が添付されている。火事の後、ノートルダム大聖堂の修復を担当した建築家によって、この雄鶏がノートルダムの庭園で発見された。聖遺物は教会の管理下に戻され、保存されている。この雄鶏は、ひどく損傷していたが、2019年の欧州遺産年の一環としてフランス文化省で展示された。現在は、火災の直前に尖塔から取り外された彫像とともに、シテ建築遺産博物館で展示されている。落下の傷跡が残るこのオブジェの運命は、建物への愛着の強さを象徴している。修復不可能なほど傷んだこの雄鶏は、再建された尖塔の上に置かれることはないが、修復に携わった人々は、この雄鶏を火災の記憶をのこすための代表的な指標と考えている。復元後の尖塔の上には、新たな雄鶏が設置されることになる。

Chapter 2  ピラールの聖母

サンジェルマン・ローセロワ教会に移設された聖母の像 © Gaspard Salatko, Fondation des Sciences du Patrimoine, octobre 2020.

大聖堂の広場にある聖母の像 © Claudie Voisenat, septembre 2020.

ガスパール・サラトコ (訳:河野俊行)

パリ・ノートルダム大聖堂では、宗教儀式の最後に聖母に祈りを捧げることが伝統的に行われている。多くの宗教的な像と同様に、柱上の聖母像にも特別な歴史がある。19世紀、作家のポール・クローデルがキリスト教への改宗を語ったのは、この聖母像の足元においてであった。1948年のクリスマスイブに、初めてテレビ中継されたミサのオープニングで、この像が放映された。2019年4月15日の火災は、この像の伝記に3つの新しい逸話を加えた。聖母像の救出についてはすでに多く語られている。そしてそのどれもが、聖母像が火災の被害を受けなかったことを驚くべき事実として強調している。消防士がかけた水で、聖母はさらに明るくなったとさえ言われている。幼児のキリストの足に燃えた木片が付着していた逸話がはっきり示すように、倒壊した尖塔の瓦礫のなかで聖母像が無傷だったことは、ほとんど奇跡的なサインである。火災の痕跡と無傷の像が発見された時の感情が呼び起こされる。

震災後、この像はルーヴル美術館の向かいにあるサン・ジェルマン・ローセロワ教会に移された。同時に、大聖堂前の広場 (パルヴィス*) にも複製が設置された。複製された像は、そのオーセンティシティ(真実性)に関して疑問を投げかけている。もちろん、本物の「柱上の聖母像」はサン=ジェルマン=ローセロワに保存されており、バスで来てろうそくを献じ、写真を撮る女性のように、ここで人々は像をよく見ることができる。しかし、ノートルダム大聖堂前の広場(パルヴィス)では、聖母像の複製が同様に崇拝されている。2021年4月18日、火災の2周年を記念して組織されたキリスト教の行進の到着点となったのも、この2番目の像であった。

訳注*:大聖堂の前のオープンスペース

Chapter 3  マルク・クチュリエの十字架

Tマルク・クチュリエの十字架、ニコラ・クストゥのピエタ (1723年)、ルイ13世とルイ14世の彫像が、瓦礫の中から無傷で姿を現した © Alexis Komenda, C2RMF, mai 2019.

足場の間にあるマルク・クチュリエの十字架 © Gaspard Salatko, Fondation des Sciences du Patrimoine, octobre 2020.

瓦礫の上に張り出したマルク・クチュリエの十字架の写真。右側には、その輝きを増すかのような十字架の落書き。© Gaspard Salatko, Fondation des Sciences du Patrimoine, janvier 2021.

ガスパール・サラトコ (訳:河野俊行)

2019年4月16日の朝、被災した大聖堂に入った最初の目撃者は、対照的な情景をみた。炭化した石や木の山の上に、1994年に彫刻されたマルク・クチュリエの黄金の十字架がかかっているのだ。この光り輝く十字架と瓦礫のコントラストから、他にはない独自の意味を見出そうとされた。炎を、度重なる不祥事で揺らいだ組織の罰と救済に結びつける人もいた。またこのような宗教的な解釈は、神学的な解釈によって補強されることもある。火事が起きた日は、キリスト教ではキリストの受難、磔刑、復活を記念する聖週間の始まりだったからである。

このような宗教的な意味を超えて、大聖堂は破壊されたのではなく傷ついたにすぎず、その回復を担うことへの招待なのだと考えられた。現在、大聖堂のコレクションのほとんどは別の場所に移されているが、マルク・クチュリエの十字架だけは、身廊の奥に残されている。現在は足場の真ん中に保護されていて、見ることはできない。修復されたクワイヤを背景にしたこの十字架を再び見ることができるのは、大聖堂の再開を待たなければならない。ただ十字架がそこにある、ということの手がかりがいくつかある。建築現場の北側のフェンスには、救助活動や建築現場の写真に混じって、瓦礫の中の十字架の写真が展示されている。またその右側には、十字架のモチーフを4本の表情豊かな線で囲んだ落書きがあり、あたかも十字架の輝きを強調しているかのようにみえる。

Chapter 4  茨の冠

2021年4月2日、聖金曜日のサン・ジェルマン・ラ・オセロワ教会での茨の冠の展示 © Michel Pourny, avril 2021.

ガスパール・サラトコ (訳:河野俊行)

パリ・ノートルダム大聖堂の宝物の一つである「茨の冠」は、毎月第一金曜日に、大聖堂の司祭の庇護のもと、聖墳墓騎士団として知られる信徒の代表に伴われ、崇敬されていた。儀式としては「崇拝」と「顕示」*という2つのタイプがある。「崇拝」では、王冠に触れたり、キスするなど、触覚を使った献身的な行為が行われる。他方「顕示」は瞑想のみに基づく。茨の冠が世界的に有名になったのは、ミサの後に行われたその「顕示」がテレビ放送されたことがきっかけだと言われている。

火災の日の夜、人々は自発的に救出にかけつけた。緊迫した状況の中で、茨の冠が収められた箱の解錠コードを知るために、何通ものメッセージがやり取りされた。消防士、大聖堂のスタッフ、警察官、遺産管理者が鎖のように連なって、茨の冠や他の宝物を救い、ルーヴル美術館の保管庫に運んだ。それ以来、茨の冠をもう一度見たいという要望が多く寄せられるようになった。しかし、冠の公開はごく限定的な機会に限られ、火災後すぐのサン・シュルピス教会において、2020年3月初旬のサン=ジェルマン=オーセロワ教会において、そして2020年と2021年の復活祭においてのみ実施された。これは COVID-19 パンデミックに関連している。感染リスクがあるため、接触による聖遺物の崇拝が禁止されているからである。もっとも、このような措置は例外的なものでもない。たとえば2009年から2010年にかけて、インフルエンザ A (H1N1) 流行のために、冠が信者の崇拝から外されたことがある。

訳注*:原語では les ostensions. 日本語での用例として「聖体顕示」がある。