パリ・ノートルダム大聖堂と首里城
2019年の火災を超えて 復元と文化遺産の価値を考える
縦方向の小屋組構造。レミ・フロモンとセドリック・トロントゾによる調査 (2014年)
身廊の小屋組み。2014年、Rémi Fromont、Cédric Trenteseaux による調査。
クワイヤの小屋組み。 2014年、Rémi Fromont、Cédric Trenteseaux による調査。
トランセプトの小屋組み © Viollet-le-Duc, Dictionary
ベンジャマン・ムートン (訳:河野俊行)
中世の小屋組み (12世紀―13世紀)
1185年に建設されたクワイヤの小屋組みは1226年頃に取り換えられた。身廊の小屋組みは1214年に建設された。この2つの小屋組みは、「トラス垂木」と呼ばれる、トラスを平行に近接させて作られたものである。身廊のトラスは71cm間隔で57本、クワイヤのトラスは80cm間隔で33本 (円形部分にさらに24本)。梁間の幅はそれぞれ14mと12.50m、高さは約12.25mであった。
それぞれの小屋組みは西から東に向かって作られ、徐々に改良が加えられてクワイヤ部分でより密になっている。その後16~17世紀に構造的な補強が行われ、19世紀に修復が行われた。
極めて正確な測量のおかげで、各トラスの建造と補強の詳細まで再現することができるようになった。
2020年6月、大工が、その半年前に伐採した樫の木から身廊用のトラスを切り出した。寸法、断面 (上に行くほど小さくなる)、接合部 (ほぞとほぞ穴)、そして使用した道具 (大工用の斧) は、もとのトラスとおなじである。わずか7日間で完成し、大聖堂の前に設置された。こうして焼失した小屋組みは正確に再現され、そのため、誠実な復元が可能となる。
19世紀の小屋組み 1855年-1858年, 1860年-1862年
ヴィオレ=ル=デュックは、袖廊の南北2つの切妻屋根及び尖塔を修復するために、中世の小屋組みを取り除き、5.50mの間隔で配置したトラスを母屋材でつないだ小屋組みに取り換えなければならなかった。分析の結果、彼は身廊のトラスの配置にヒントを得てこれらを設計したことがわかった。
尖塔 1858年-1860年
13世紀に建てられた尖塔の残存部材とその構造上の不具合、そして大聖堂に対するボリュームなどを厳密に分析した上で、ヴィオレ=ル=デュックは、より優れた耐風補強を施した新しい尖塔を設計した。彼のデザインは、コーナーポストを中央に向けて傾けることによる、構造と遠近法の完璧な例となっている。
"これほど高く、全体的に細身のモニュメントでは、全体の中でシルエットを邪魔するものがないように、すべての線が軸に向かって傾くようにする必要がある...。"
袖廊の小屋組みには、ヴィオレ=ル=デュックの時代の建築方法である、製材した木材をナットとボルトで組み立てる方法を採用した。施工図が残っているため、正確な復元が可能である。
鉛屋根
鉛は、大聖堂のための材料と考えられていた。最も耐久性があり、最も高価で、最も高貴であり、しかし、最も重い。鉛の屋根材は小屋組みの重量と合わせて、壁に大きな荷重をかけていた。0.60m×1.10mの鉛板は、小屋組みに釘付けされた木の野地板に固定され、今でも用いられる技術によって組み立てられて、十分な膨張しろが確保されていた。
小屋組み、屋根の鉛板、尖塔、そしてヴィオレ=ル=デュックが制作した装飾のすべてが復元されることで、大聖堂に火災前の屋根が戻り、失われた真実性の重要な部分を取り戻すことができる。
新しい尖塔のプロジェクト © Viollet-le-Duc, Dictionary
尖塔の基部 © Viollet-le-Duc, Dictionary
尖塔の模型。コンパニー・デュ・ドゥボワール © Benjamin Mouton
コンパニオンによる模型の詳細 © Benjamin Mouton
コンパニオンによる模型の詳細 © Benjamin Mouton
大工の斧 © Rémi Fromont
身廊のトラス。斧で木を切る © Rémi Fromont
木材加工 © Rémi Fromont
ほぞ穴開け © Rémi Fromont
組立て前の準備 © Rémi Fromont
組立て © Rémi Fromont
建て起こし © Rémi Fromont
広場でのプレゼンテーション © François Calame
尖塔と鉛板葺き屋根 © Benjamin Mouton
鉛板葺き屋根と棟 © Benjamin Mouton
19世紀 クレスト © Benjamin Mouton
尖塔の鉛板葺き屋根と装飾 © Benjamin Mouton
尖塔の鉛板葺き屋根と装飾 © Benjamin Mouton