リ・ノートルダム大聖堂首里城
2019年の火災を超えて
復元と文化遺産の価値を考える

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プロローグ

2019年、ノートルダム大聖堂と首里城正殿は、火災により甚大な被害を受けた。
しかし、いずれも焼損前の姿に復元されることが決定している。

文化遺産のオーセンティシティ (真実性) は、
文化遺産をかたち作る部材や形態がオリジナルであることによって証明される、と伝統的には理解されてきた。
古い部材が失われてしまった文化遺産を「復元」することと、
こうした伝統的なオーセンティシティ理解は、相入れないように思われる。

しかし専門家は、復元に向けて厳密な調査を開始した。人々も復元を切望している。
復元は、建物の文化遺産としての価値、さらにその社会的な価値に関して、どのような意味をもつのだろうか。

© Benjamin Mouton

© Benjamin Mouton

© Benjamin Mouton

© Benjamin Mouton

© Benjamin Mouton

© Benjamin Mouton

© Benjamin Mouton

パリ=ノートルダム大聖堂

それは、最古の歴史をもつわけでも、高さを誇るわけでも、最も人目を引くわけでもない。ランス大聖堂のように歴代国王の戴冠式が執り行われたわけでもなく、シャルトル大聖堂のように巡礼の地でもない。にもかかわらず、それは最も有名な存在だ。

進貢船 © 沖縄県立博物館・美術館提供

冊封使行列図 (部分) © 沖縄県立博物館・美術館提供

奉使琉球図巻 (冊封宣詔) (部分) © 沖縄県立博物館・美術館提供

中山伝信録より 中山王府仲秋宴図 © 那覇市歴史博物館提供

首里城の夕暮 © 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

首里城

東シナ海に浮かぶ琉球列島。そこには、アートを武器とし、大国の間をしたたかに生き抜く人々がいた。かつてその中心だった首里城は、琉球の文化と波乱の歴史を象徴する。

© Benjamin Mouton

© Dany Sandron

© 沖縄県立博物館・美術館提供

© 沖縄県立博物館・美術館提供

Room 1
灰燼

2019年 —歴史的・文化的に重要な二つの建造物が炎に包まれた。
救助活動も空しく、復旧不能な損失も発生し、文化的な価値は大打撃を被った。

© Emmanuel Fournier

© Benjamin Mouton

© Philippe Villeneuve

© Benjamin Mouton

© Philippe Villeneuve

© Benjamin Mouton

© Philippe Villeneuve

© Philippe Villeneuve

© Philippe Villeneuve

火災は、2019年4月15日の18時18分に発生。消防隊の懸命な努力にもかかわらず、炎は蔓延した。同日22時30分に火勢は鎮圧されたが、甚大な被害が残された。

国営沖縄記念公園 (首里城公園)

沖縄タイムス社提供

© Junko Mukai

沖縄タイムス社提供

内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

© Junko Mukai

© Junko Mukai

© Junko Mukai

火災は、2019年10月31日未明に発生。夜明け前、首里城正殿は一瞬で焼け落ちた。

首里城火災の日、パリ消防旅団ジャン・クロード・ガレット少将から那覇市消防局へ、一通の手紙が送られた。
首里城を失った悲しみに共感し、消防隊員の勇気と献身を称えるメッセージだった。

そして、那覇市消防局からはパリ消防旅団にお礼の返信が送られた。
引き続き災害に立ち向かう覚悟と、ノートルダム大聖堂の復興への祈りが綴られている。

翻訳 

パリ消防旅団から那覇消防署への手紙

 翻訳

那覇消防署からパリ消防旅団への手紙

Room 2
不変性と変容

破壊と苦難は今回が初めてではない
しかしいつの時代にも、この素晴らしい建造物を回復したいという、人々の強い想いがあった
こうした幾度もの修復や再建が、建造物に重層的な文化的価値を与え、
それが今日まで伝えられてきた

ジャン・フーケ画 15世紀半ば © Benjamin Mouton

トルシェとホワイヨによるパリ図 (部分) 16世紀 © Benjamin Mouton

イスラエル・シルベストル作 17世紀 © Benjamin Mouton

ユベール・ロベール作 18世紀 © Benjamin Mouton

ホテル・デューの火災 ユベール・ロベール作 1772年 © Benjamin Mouton

中世から19世紀:建造と改変

1160年、パリ=ノートルダム大聖堂は、革新的で熟練を示す建築、すなわちゴシック建築 (完成された建設技術と構造システムの結晶体) として建造が始まった。しかし17世紀以降、それは大きく改変され、さらに革命によって荒廃していった。

西側ファサード © MAP

シュヴェ © MAP

尖塔 © MAP

南バラ窓 © MAP

19世紀の大修復

中世建築の再評価に促され、大聖堂は大規模に修復されることとなった。それが、1844年から1864年にわたるラシュスとヴィオレ=ル=デュック両名による大修復工事のはじまりである。

北鐘楼の鐘 © Benjamin Mouton

国のモニュメントから世界の遺産へ

20世紀になると、かつてヴィクトル・ユーゴーが讃えたノートルダムの鐘が、大きな歴史的イベントのたびに鳴らされたことで、大聖堂は国を象徴する教会になった。今日、人の往来が増え、画像・映像が瞬時に拡散する時代において、ノートルダム大聖堂は、国や宗教の垣根を超え、人類みなの遺産になった。

首里城図 友寄喜恒筆 19世紀
© 沖縄県立図書館所蔵 CCBY 4.0 (一部改変)

首里那覇図 (部分) © 那覇市歴史博物館提供 (*右下に熊本鎮台を描く)

首里城正殿に立つ熊本鎮台分遣隊の歩哨 © 那覇市歴史博物館提供

首里区立女子工芸学校卒業記念写真 © 大嶺君子氏蔵 那覇市歴史博物館提供「大琉球写真帖」より

首里城周辺の日本軍陣地に対する第10陸軍の猛攻の跡 © 沖縄県公文書館「写真が語る沖縄」より

成立、変遷、そして大戦による破壊

外交・政治の表舞台として、幾多の変遷をへてきた首里城。琉球処分後の危機にあっても、人々は首里城を守った。しかし、1945年、砲爆撃により焼失。

屋根の重なり © 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

戦後の復元工事 (赤瓦漆喰塗) © 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

向拝 © 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

戦後の復元工事 (懸魚彩色) © 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

正殿二階御差床 (玉座) © Junko Mukai

復元

戦後の首里城復元は、「沖縄」を取り戻すための、人々の道のり。琉球処分や戦争で散逸した資料を探し、証言を集め、技術を再興してホンモノを創ろうとした人々。そうして再建された建造物は、原寸模型ではないなにか。

戦火を逃れた資料が、
復元のための詳細な情報をもたらした

首里城の図 © 那覇市歴史博物館提供

© Photo Benjamin Mouton

© 国 (文化庁保管)

沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館所蔵 鎌倉芳太郎資料 及び 那覇市歴史博物館

© Jean-Pierre Bazard, Creative Commons

© Plantu, by courtesy of the author

© 沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館所蔵 鎌倉芳太郎資料

© 沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館所蔵 鎌倉芳太郎資料

© 沖縄県立博物館・美術館提供

© 沖縄県立博物館・美術館提供

文化遺産の実践と理論の発展


Room 3
想いと記憶

そして今回の焼失。
この焼失は、人々の眼にどう映ったのか?
人々の強い想い。残すべき記憶。

© Aline Magnien, LRMH.

想いのつまった大聖堂

大聖堂火災のニュースは人々に衝撃を与え、悲しみと支援のメッセージが世界中から寄せられた。その一方、政治的緊張が続いていたフランスでは、災害は国民を統合するのでなく、むしろ社会的な分断と論争を引き起こすことになった。

© 沖縄タイムス社提供

思いがけない喪失感

焼失に直面して、首里城がいつの間にかこころの拠りどころになっていたことに気付いた、という多くの声。

© Oscar Ortega, by courtesy of the author

© Marind, Creative Commons.

© 沖縄タイムス社提供

© 沖縄タイムス社提供

© Ministère de la Culture / Ferrante Ferranti

がれき、遺物、それとも聖遺物

火災はいまやノートルダム大聖堂の歴史の一部であり、その壮大で記念碑的な物語に組み込まれた。しかし、その痕跡をどう扱えば良いのだろう?火災後の破片の扱いを、がれき、遺物、あるいは聖遺物のいずれとするのかによって、大聖堂をめぐる「記憶」の作り方は異なってくる。

児童クラブの子供たちの段ボール作品 © 琉球新報社提供

沖縄とはなにか

そして、悲しみの後に沸き起こったのは、「沖縄」とは何か、という問い。文化遺産に人々が投影する価値や想いはさまざま。だからこそ文化遺産の再建は、相互理解のプロセスともなる。

© Alexis Komenda, C2RMF

© Alexis Komenda, C2RMF

© 内閣府沖縄総合事務局
国営沖縄記念公園事務所

© 内閣府沖縄総合事務局
国営沖縄記念公園事務所

Room 4
復元とオーセンティシティ

文化遺産の誠実な復元は、伝統的・現代的な知見を動員しつつ、
技術的な挑戦にチャレンジすることを意味する。
それはまたオーセンティシティ (真実性) に関する議論をオープンにすることでもある。

オーセンティシティには、かたちや古い材料が重要なのか?
それともオーセンティシティは、さまざまな機能や技術を伝えていることに宿るのか?

文化遺産のオーセンティシティをどう考えるか、については古くから研究や議論が続いてきた。
しかし今日でもまだ、理論は出尽くしていない。

XII°s © Benjamin Mouton

XIII°s © Benjamin Mouton

XIV°s © Benjamin Mouton

XVIII° © Benjamin Mouton

XIX°s © Benjamin Mouton

XX° © Benjamin Mouton

XX°s. © Benjamin Mouton

オーセンティシティはひとつ?

今日オーセンティシティは文化遺産保護のカギとなる基準である。しかしノートルダム大聖堂には、いろんな時代の仕事が入り混じっている。中世に段階的に行われた建造、17世紀の改変、18世紀及びフランス革命期の荒廃、19世紀の大修復、そして現代の文化遺産保全行為。オーセンティシティのために、どの時点に焦点を当てるのか?物質的な側面のみに焦点を当てればいいのか?そして、「修理」「復元」「復旧」「修復」のどれを目指すべきか?

© 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

さらなるホンモノを目指して

戦後の復元が終わっても、かたちと材料のオーセンティシティを探求する挑戦は続いていた。これから再建される正殿は、これまでの調査の成果を反映させる大きな実験場でもある。

作業中の大聖堂シュヴェ © Alexis Komenda, C2RMF.

安全柵を覆い、作業員やコンパニオンのノウハウを紹介する展示の前でポーズをとる現場チーム。© Alexis Komenda, C2RMF.

仮補強作業のはじめに、飛び梁を支える木枠を調整する。© Alexis Komenda, C2RMF.

2020年7月10日付 La Croix 紙 Benjamin Mouton 撮影

© Benjamin Mouton

© Agathe de Maupeou

© Phillppe Villeneuve

未来につながるノートルダム

さまざまな技術と知見を駆使して、焼失前のとおりに再建することで、大聖堂は建築物としてのインテグリティ (完全性) を取り戻し、シテ島の中心的な存在として再生するだろう。同時に、大聖堂を訪れる人たちにとって、音の響きや光の効果など、感覚的なものも大切であり、それを再現することもまた重要である。

© Junko Mukai

© Junko Mukai

© Junko Mukai

奉神門仮復旧工事 © JunkoMukai

奉神門仮復旧工事 © 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

奉神門仮復旧工事 © 内閣府沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所

未来につながる首里城

前回の復元から27年。これから再建される正殿も、沖縄のこころの象徴になるだろうか。そして地域の、国の、世界の首里城となるだろうか。

エピローグ
未来へ

ノートルダム大聖堂と首里城正殿 —新しい二つの事例

ノートルダム大聖堂と首里城正殿は、今回もその深い傷を乗り越え、完全性を取り戻すために動き出している。
それを後押しするのは、調査研究から得られる最高レベルの知見と洞察、職人・技術者・研究者の卓越した努力、
そして市民の意思と支援である。

失われた部分を誠実に復元することは、これまでしばしば揶揄されてきたような、文化遺産の改竄ではない。
それは、オーセンティシティの核心に関わる部分を正確に回復させる作業・プロセスである。

誠実な復元を認めることは、文化遺産保全における質的な進化なのだ。
それを否定するならば、誠実に復元されたモニュメントさえも批判の対象となってしまう。
しかしそれでは、誠実な復元によってオーセンティシティの核心部分を取り戻すことを願う
世界中の人々の想いを裏切ることになるだろう。

そこで、ノートルダム大聖堂と首里城正殿の復元は、この理念上の進化に大いに貢献するだろう。
それだけではない。文化遺産保全において、従来から重視されてきた材料や形態など形あるものの価値だけでなく、
歴史や記憶など形のないものにも、大切な役割があることを気づかせてくれる契機となるだろう。

総監修

   

河野 俊行

九州大学理事・副学長・主幹教授

学術委員会

   

河野 俊行

九州大学理事・副学長・主幹教授

向井 純子

建築士・文化遺産スペシャリスト、元ブータン内務文化省上級技官/課長代理

ベンジャマン・ムートン

歴史的記念物主任建築家、歴史的記念物名誉総監督官、元ノートルダム大聖堂保存建築家、イコモス・フランス元会長

ジャン・フランソワ・ラニョ

歴史的記念物主任建築家、歴史的記念物名誉総監督官、イコモス・フランス前会長

ダニー・サンドロン

ソルボンヌ大学 (アンドレ・シャステル・センター) 中世美術史・考古学教授

ドミニク・シュナイダー

元イコモス・フランス事務局長

クロディ・ヴォワスナ

リサーチ・エンジニア Héritages UMR 9022 (CYU, CNRS, MC)、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

ガスパール・サラトコ

文化遺産科学財団ポスドク研究員、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

コンテンツ作成

   

河野 俊行

 

向井 純子

 

ベンジャマン・ムートン

 

ジャン・フランソワ・ラニョ

 

ダニー・サンドロン

 

ドミニク・シュナイダー

 

クロディ・ヴォワスナ

 

ガスパール・サラトコ

 

フロランス・バビクス

遺産建築家、エコル・ド・シャイヨー教授、元イコモス・フランス副会長

ジョナサン・トリュイエ

ノートルダム大聖堂保存修復公施設法人・副ディレクター

ヤン・ポタン

国立公文書館・文書研究主任、パリ北大学法制史准教授、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

クララ・デレトル

エコル・デュ・ルーブル学生、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

ドリアン・オドワン

エコル・デュ・ルーブル学生、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

ヴィアネ・ロシェ

エコル・デュ・ルーブル学生、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

シルヴィ・サグネス

CNRS 研究員 Héritages UMR 9022 (CYU, CNRS, MC)、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

ヴェロニク・ダシエ

CNRS 研究員 Héritages UMR 9022 (CYU, CNRS, MC)、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

张君

パリ第1大学「文化遺産と博物館学」修士課程学生、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

クレマン・ゲスラー

エコル・デュ・ルーブル修了生、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

二コラ・フィケ

エコル・デュ・ルーブル「美術・文学・言語」修士課程学生、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

エヴァン・バルセロ

エクス・マルセイユ大学 地中海・欧州・比較民族学研究所・博士課程学生、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

ドロテ・シャウィ・デリュ

文化省文化財主任学芸員、DRAC イル・ド・フランス考古学担当、UMR 7041 ArScAn、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

マキシム・レリティエ

パリ第8大学講師 ArScAn UMR7041、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

オレリア・アゼマ

歴史的記念物研究所研究エンジニア (LRMH) CRC USR 3224、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

デルフィヌ・シヴィレー

歴史的記念物研究所、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

ブリアン FG カッツ

CNRS 研究ディレクター、ソルボンヌ大学アランベール研究所、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

イザベル・シャーブ

文化省文化遺産・建築局、歴史的記念物・遺産担当次長

クロディ・ロワゼル

歴史的記念物研究所ステンドグラス部門研究エンジニア、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

マルティヌ・モンフェラン

Héritages (CNRS, MC, CYU) 研究員、パリ・ノートルダム科学ワークショップ

トレバー・H.J.マルシャン

東洋・アフリカ研究学院教授

ロクリン・キリー

ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン建築学名誉教授

ソレーヌ・アズアール

科学マネージャー Héritages (CNRS, MC, CYU)

Web 製作

   

木村 朱美

 

本展覧会は、日本学術振興会「課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業」の成果の一部であり、
また九州大学の財政的支援も受けて実現可能になった。